三河 十念寺 沿革

十念寺門の写真

●宗派

浄土宗西山(せいざん)禅林寺派


●本山

京都・永観堂(正式には聖衆来迎山禅林寺)


●ご本尊 阿弥陀如来

ご本尊は平安後期の仏師定朝(じょうちょう)様式の流れを汲む 穏やかで優しい表情の阿弥陀如来坐像です。


●アクセス

JR東海・東海道本線刈谷駅の南西約2kmにあり、

最寄り駅は名鉄三河線「刈谷市駅」から徒歩で3分程の所にあります。


●沿革

寺伝によると、當山は奈良時代に行基(ぎょうき)が開創したともいわれているが、定かではない。寛永の記録によると、東西71間・南北70間の境内に阿弥陀堂、観音堂、地蔵堂、秋葉堂、蓮乗院(現在、高浜市内に存在する)及び月渓院などを有する伽藍が寛永元年 (1624年)完成しており、室町時代に現在の浄土宗へ改宗され、具足山十念寺と称するようになったと記されています。


 現在は昭和40年代の区画整理事業の関係で敷地は四分の一程の境内になり、前出のご本尊の外、十一面観世音菩薩立像(市文)、青面(しょうめん)(庚申(こうしん))金剛尊天、子安地蔵、半伽趺坐阿弥陀如来、種々の地蔵菩薩がある他、鐘楼堂、弘法堂が存在する。
 又、當山は明治維新迄の江戸時代後期122年に亘り旧刈谷藩を治めた土井家菩提寺であり、藩祖は土井利長公(西尾藩祖)にあたります。この利長公は徳川家康・秀忠・家光の三代に仕え、家光時大老を努めた土井利勝公の参男に当たります。


 その為、本堂内には、西尾並びに刈谷土井家の歴代藩主等のお位牌を納めた利勝寺もある。この利勝寺ご本尊は鎌倉期に作られた阿弥陀如来立像(市文)で、旧士族会の一般財団法人刈谷頌和会が管理している。
 本堂西側には土井家の廟所があり、幕末の天誅組(てんちゅうぐみ)総裁を勤めた松本奎堂(謙三郎)の墓もあります。この奎堂は刈谷藩の漢学と甲州流軍学の師である松本印南の次男です。
 また、市原の渡し場の賑わいを伝える「夜わたしの今に声あり華さかり」等を詠んだ俳人中島秋挙(刈谷藩士中島左守の長男)の墓があります。


●寺宝

a)ご本尊
阿弥陀如来
ご本尊は平安後期の仏師定朝(じょうちょう)様式の流れを汲む 穏やかで優しい表情の阿弥陀如来坐像です。
先ずはご本尊の穏やかで優しい表情のお顔に、心洗われる筈です。次に、座す蓮華座の丁寧な作りに

目が奪われでしょう。刈谷市指定文化財。

 

b)庚申(金剛尊天)さん
悪鬼の禍を除くと云われ、帝釈天の使者として崇められており、

現在は毎年12月第一日曜日に庚申尊天のご祈祷大祭を本堂内で行っている。

昔は三猿の屋根瓦が残る庚申堂で行っていたようである。 当山山門の脇に盛んな頃の庚申塔もある。
        
c)十一面観世音菩薩立像
江戸期刈谷藩11代目(5家目)の阿部伊代守正春から寄進された像で、刈谷市指定文化財。

       

d)土井家廟所

江戸期刈谷藩17代目(8家目)から25代目で明治維新を迎えるまでの122年4ヶ月間刈谷を治め、

土井家ゆかりの墓所。
        
e)天誅組総裁松本奎堂謙三郎墓所

 

以上